先日投稿した記事『ライタイハン、戦争とその深い傷跡』を読んでいただいた方から、「竹林はるか遠く」という本を紹介されました。
内容、緊迫感伝わる文、そして私としては驚きの事実(だと信じるに十分な状況説明)から、一日で一気に読んでしまった。
この本の著者は第二次大戦末期に父親の仕事の関係で滞在していた満州から朝鮮半島を南下し、釜山港を経由して命からがら日本へ引き上げてきた方です。
日本ではごく最近出版された本なのですが、著者の住むアメリカではなんと30年も前に出版されており、アメリカの教科書の副読本としても用いられ、また、数々の賞を受けています。
彼女の著書は引き上げる際に目にした、体験したことが主に書かれているのですが、特に朝鮮人による様々な事象は「戦争だからしょうがない」、「日本が朝鮮を蹂躙したのだから・・・」では済まされないのではないかと感じます。
1910年を境に朝鮮がどうなったか、その前後の朝鮮の風景を収めた写真があればご覧いただきたい。
この本も”証言”に変わり無いといえばそれまでですが、
「アンネの日記」や「はだしのゲン」に勝るとも劣らない内容です、ぜひ読んでみてください。
==続編も出るようです==
なぜ最近になって出版されたかは大方察しがつきますが、まだまだアメリカのように教育現場への導入は難しそうです。なぜなら、私が受けてきた教育ではこの方向へは絶対に話し・関心を持っていかないだろうと思うから。
アメリカでもこの本を副読本から除外するよう運動がなされています。
ちなみに、私が受けた歴史教育はこんな感じです。
高校は進学一辺倒な学校だったので『歴史の授業→試験に出るか出ないか』ということ以外の一切の意識を叩き込まれていないのですが、
中学校、小学校では『歴史→戦争反対』がメインテーマだったとさえ今なら思える。
もちろん私も戦争は大反対です。何万人もの命を一瞬で奪い人が人を殺しあう。戦争が人を変えてしまう。なんて恐ろしい。
ただ、なんで戦争になったか、そこで何をしたか、戦争の否定を教えるのなら戦争の肯定も教えるべきではないのかな。
歴史が科学(サイエンス)かと言われれば難しいけれども、少なくとも学問である限りそうあって欲しい。
夏になると、2週間に一回のペースで登校日なるものがあった。
そこでは必ず先生が演劇を披露するするのだけれど、内容は毎年『戦争反対』だった。
それだけで留まるわけではなく、最後には「日本はヒドイことを世界中の人にした」と締めくくったなぁ。
このブログにふさわしい記事ではないね。
すみません。